通訳者の介入行為

最近、手話通訳における医療通訳の研修の講師を行う機会が多くなった。手話通訳は、資格制度もあり、通訳報酬も高額ではないが、国の制度の一つとして支給がされる(場面や回数に制限がある場合もある)。しかし、音声言語通訳と共通する課題も抱えている。

それは、手話通訳士という資格制度があるといっても、通訳システムを支えているのは、手話サークルで手話を学んだボランティアが多いということ。そのような人たちが、各福祉事務所や支援センターに登録している手話通訳者たちのレベルはバラバラで、医療などの専門用語を適切に訳すのが難しい場合もある。また、対人援助通訳の大きな問題として、専門家とクライエントとの力の差がある(情報量や裁量権など)ことから、通訳者が正確に通訳する以外に、専門家とクライエントの両者が理解できるように介入をしなければならない場面があるということである。介入行為は、通訳倫理から逸脱してしまうものであるが、ただ忠実に訳しただけでは理解ができないクライエントに対して、適切な介入を行うことは、クライエントが主体的に自らの問題解決にむけて、コミュニケーションに関わることができるよい機会になる。この部分の通訳者の行為は、ベテランの通訳者のカンや経験値で行われており、外からはわかりにくい。しかし、この部分にこそ、医療を含める対人援助通訳の専門性があると考えるのだが、なかなかその専門性の意義が認知されにくいのである。

 手話通訳においても、この介入行為はどのように行えばいいか、悩んでいる部分が多い。通訳倫理に反せず、専門家とクライエントの主体的なコミュニケーションを尊重しつつ、しかし、力の差のある両者がお互いの意見を理解しあえるように、通訳者が介入をおこなっていく。一見すると通訳という行為から矛盾するような行為であるが、この部分をベテラン通訳者は上手におこなっているからこそ、専門家とクライエントがお互いを理解して、信頼関係を築くことができているのだと考えている。

 手話通訳の研修において、そのようなベテランの通訳者たちの営みをたくさん聞く。適切な介入がおこなえる通訳者が評価されるように、通訳者の介入行為についての議論が深まればと考える。 N.I        

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最近思うこと

8月より、NAMI主催で日本財団の助成を受け、東北、中部、中国・四国、九州の4地区で「医療通訳システム課題検討会議」というものを開催しています。最終が1014日の九州です。この会議は、地域の実情に即した医療通訳システムの構築のため、各地域の問題点や知見を収集し、医療通訳システム構築の課題を分析していくと同時に医療通訳に関する情報交換や各地で蓄積してきたノウハウの交換が行えるようネットワーク作りを図っていくことを目的としています。参加させていただいて、各地区の地域の実情、また、すでに県を超えてのネットワークがあることなど、これまで知らなかったことも知ることができました。やはり、最近の共通の話題としては、急速に増えてきた、ベトナム、ネパールを筆頭にこれまで日本で医療通訳養成をしてこなかった言語の医療通訳要請へどうこたえていけるかということでした。医療通訳として養成されていないから派遣するべきではないのか、それとも、全くいないよりは、30%しか伝わらなくても派遣したほうが良いのか・・

私たちの立場としては、医療通訳者は訓練された人でなくてはという事を提唱しており、アドホック通訳の危険性を常に提示しているのですが、養成を実際にほとんどできていないそういった言語の方たちからの依頼はどんどん増えており、養成の必要性を日々、ひしひしと感じています。この養成に関しては、医療通訳者としてそれに見合うような報酬が得られ、職業として成立するのであれば、参加者を集めるのもたやすいと考えらえますが、現状のような不安定な状況の中では、なかなか難しいのであろうと思われます。

 

これまでのように日本語の堪能な人を集めてきて、医療知識をはじめ、医療通訳に必要なことを学んでもらってという事では、立ち行きそうになく、通訳をするにはちょっと日本語がという方の日本語を通訳できるくらいに高めてもらうという研修も同時に必要なのではと思う今日この頃です。(ya)

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医療通訳者は翻訳マシーンじゃない

何も足さず、何も引かず、医療従事者と患者との間のコミュニケ―ションの橋渡しをする、通訳は自分の意見を述べてはならない、などなど、現場では自分の存在を半ば消して役割を果たす。それが医療通訳者である、と教えられます。

しかしそうは言っても医療通訳者も人間。色々な思いから通訳だけに徹することが簡単でないこともあります。

ある日の診察室で。患者さんはとても元気そうに見えました。通訳付きは初めてで、前回は何を言われているのかよくわからなかった、とのことでした。

診察室に入って座るか座らないうちに医師はこう説明を始めました。「これがこないだ撮ったCTの画像です。ここに白い影があるでしょう?この部分に空気が入っていれば黒く写るはずです。嫌なことを言うようですが、この白い影は癌です。」といきなりの告知でした。あまりに唐突で戸惑った通訳は思わず「先生、それは初めての告知ですか?」と聞いてしまいました。通訳は自分の意見を言ってはいけないのに。昔と違って癌は不治の病ではなく、隠す必要はなく、患者本人に直接病名を告げて共に治療を進めて行くのが現在のやり方です。しかし、そうは言っても癌はやはり簡単な病気ではなく、また国や地域によっては本人に告げないという慣習のところもあります。果たしてそのまま訳していいのか、という迷いもありましたし、また、告知を受けた患者がどのような反応を示すにしても、それを冷静に通訳する必要があり、それなりの心構えが必要だと感じました。正直に言えば通訳として冷静でいられるよう、心の準備のために少し時間稼ぎしたかったのです。医師の「そうです」という言葉の後、一呼吸置いて覚悟を決め、通訳しました。癌と聞くとやはり誰でも少なからず衝撃を受けるのは当然だと思います。しかし、その後の展開は私の想像を裏切るものでした。

医師は「こことここが腫れている、転移しているかもしれず、確定診断のためさらなる検査が必要である」と。続いてその検査の実施方法、合併症の説明、そしてその検査をしても100%の確定は出来ないかもしれない。かなり苦しい検査であるので言葉の通じる母国で実施した方がいいかもしれないという提案がなされました。結局、患者さんは母国での検査を希望され、当院での検査データを後日取りに来ることになりました。告知の瞬間、患者ご夫妻に衝撃が走るという風でもなかったので、ちゃんと伝わったのかな、と若干心配になりました。ごく軽い病気だという認識でいらっしゃいましたので。「後何年生きられるのか?」という質問が出たところでああ、事実を受け止められたのだな、と思いました。

診察室を出たところで「ショックだったでしょう?」と聞くと「NO  人間はいつか死ぬのです。神がすべてを決めます。私はそれを受け入れます。」と笑顔でおっしゃられました。宗教を持たない私には理解しがたくもあり、羨ましくもある心の持ちよう。

 

母国で無事検査を終えられ、適切な治療を受けて健康を取り戻され、大好きな日本に戻ってまたお仕事が続けられますように、と願うのみでした。       (Y・Y)

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「言葉の壁」以外にも・・

薬剤師として、薬を介して患者さんの支援をしていますが「言葉の壁」にぶつかることもしばしばです。たとえば「咳止め」を説明したときは、多言語の医療用語集から探し当てた単語を書き写し発音してはみたものの、患者さんの表情から「理解してもらえた!」という手ごたえは感じられませんでした・・・。何度かそのような経験をしたあとに、おそるおそる医療通訳の人に「咳止めって、どうやって説明していますか?」と尋ねました。すると、ベテランのその方は「私の場合は、咳を取り除く薬、という言い方をすることが多いと思います。」と教えてくれました。
そこで納得。私が書いた単語は、日本語でいう「鎮咳薬」のような表現だったようです。日本人だって「これはチンガイヤクです」といわれたらピンとくるでしょうか? 実は、「言葉の壁」だけでなく、乗り越えなければいけない「壁」は他にもある、ということに気が付いた瞬間でした。
医療者は得てして「説明」のような一方通行の話が多く、相手の確認を求めたり、患者さんの話をゆっくり聞いてコミュニケーションを積極的にとりにいったりすることが少ないように思います。それが外国人の方だと、なおさら困難を伴います。(もしくは困難を伴うと思い、消極的になってしまいます。)
このような経験からNAMIの部会である「薬局での外国人患者対応委員会」の活動が始まりました。皆さまにもお力を貸していただき、今後よりよい薬局での支援を目指していきたいと思っています。どうかよろしくお願いいたします。

 

NAMI賛助会員 M.I

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自立に寄り添う

医療通訳の役割とは、医療現場で日本語を母語としない患者さんと医療者との

円滑なコミュニケーションをサポートすること、しかし、日本語を母語としない≠日本語が話せないではありません。

稀ですが、通訳がついていても、患者さんが通訳を使わず、一方的に医療者と話そうとすることがあります。そんなときは、医・患に医療通訳の立ち位置を確認した上で通訳が待機中でも両者の会話を聞きながらメモ取りをします。患者さんが医療者の話が理解できなくなる瞬間に通訳が訳出するための対応策です。とは言え、受付から診察室、検査、会計まで通訳を必要とするケースが圧倒的に多いです。

病や言葉の壁に不安を抱えている患者さんにとって母語で意志疎通することは、ストレスや不安の軽減に繋がります。安心して通院しているうちに、受付や会計が自分でできる 採血、検査なら医療者とのやり取りは自分で(日本語で)対応できる→ 外来受診も通訳なしで試してみたいと徐々に見えてきた患者さんの自信と自立に幾度大きな喜びを味わってきました。

ある患者さんが話してくれたこと「病名告知の時に大きなショックを受け、言葉が通じない異国で暫く落ち込みました。しかし、主治医は治療方針から治療経過まで常に丁寧に説明してくれたことで辛い治療ですが、自分は徐々に病気を受け入れ、向き合うようになりました。主治医に感謝し、現場で医療通訳に会うと今日も言葉の壁に心配なく受診できると思うとほっとします。」

多くの患者さんの言葉に医療通訳の使命、言葉の壁は乗り越えられないもの

 

ではないと思い知らされ、勇気を頂きました。☆感謝☆(P.S)

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