自立に寄り添う

医療通訳の役割とは、医療現場で日本語を母語としない患者さんと医療者との

円滑なコミュニケーションをサポートすること、しかし、日本語を母語としない≠日本語が話せないではありません。

稀ですが、通訳がついていても、患者さんが通訳を使わず、一方的に医療者と話そうとすることがあります。そんなときは、医・患に医療通訳の立ち位置を確認した上で通訳が待機中でも両者の会話を聞きながらメモ取りをします。患者さんが医療者の話が理解できなくなる瞬間に通訳が訳出するための対応策です。とは言え、受付から診察室、検査、会計まで通訳を必要とするケースが圧倒的に多いです。

病や言葉の壁に不安を抱えている患者さんにとって母語で意志疎通することは、ストレスや不安の軽減に繋がります。安心して通院しているうちに、受付や会計が自分でできる 採血、検査なら医療者とのやり取りは自分で(日本語で)対応できる→ 外来受診も通訳なしで試してみたいと徐々に見えてきた患者さんの自信と自立に幾度大きな喜びを味わってきました。

ある患者さんが話してくれたこと「病名告知の時に大きなショックを受け、言葉が通じない異国で暫く落ち込みました。しかし、主治医は治療方針から治療経過まで常に丁寧に説明してくれたことで辛い治療ですが、自分は徐々に病気を受け入れ、向き合うようになりました。主治医に感謝し、現場で医療通訳に会うと今日も言葉の壁に心配なく受診できると思うとほっとします。」

多くの患者さんの言葉に医療通訳の使命、言葉の壁は乗り越えられないもの

 

ではないと思い知らされ、勇気を頂きました。☆感謝☆(P.S)

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医療通訳研修

毎年、JIAM(全国市町村国際文化研修所)で2日間の医療通訳研修があります。

https://www.jiam.jp/workshop/doc/2017/17215/tr17215.pdf

 

 

平成28年度のテーマは「医療通訳の基礎」だったのですが、平成29年度は「「医療通訳の取り組み~外国人が安心して医療を受けられるための環境整備~」となり、病院職員やNPO、ネイティブ相談員など、広い分野の人たちが参加されました。以前、医療通訳は地域住民のための権利保障として考えられてきましたが、近年では訪日外国人、メディカルツーリズムなど広がりを見せています。この研修が始まった頃の参加者は、行政か国際交流協会の方々でしたが、近年ではさまざまな人たちが参加されるようになってきました。少し先の話ですが、今年度は31218()-219()「外国人が安心して医療を受けられるための環境整備」をテーマに開催される予定です。研修という学びの場所であると同時に、他地域の行政や医療機関の取り組みについての情報交換ができる場所として、今後も続けてほしいなと思っています。 (む)

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「医療通訳は必要ない」と言ったけど・・・

「英語が話せるから必要ないです」「妻は日常会話はできるので、説明はだいたいわかっているので大丈夫です」

 

医療現場では時々、医療通訳を紹介してもこんな風に断られることがある。また、同時に医師からも「英語で説明して理解されているから、必要ないんじゃない?」と言われることもある。この場合、医療通訳が本当に必要ではなく、医師が英語や簡単な日本語で説明して十分であるか?それはNoである。

 

「英語が話せるから必要ない」と言っていた患者さん。医師の説明にいつも「質問はない。わかっている。」と話し、無口な印象。

ところが…医療通訳者が同席した瞬間に堰を切ったように話し出した。あっ、こんなに話す人だったんだ…そしてこんなに聞きたいことがあったんだ。治療上の規則を守れないのは「文化の違い?」「理解が悪い?」「パーソナリティー?」と医療スタッフは関わり方に戸惑っていたが、結果、医療スタッフの説明を十分に理解できていなかったからということがわかった。医療スタッフの患者さんに対する印象が変わる。そして、説明が終わった後に、医師も「通訳に来てもらってよかった」と話し、患者さんも医師もほっとした感じがお互いに伝わった。

 

「妻には医療通訳は必要ない」と言っていた患者さん。

医療通訳者に同席してもらい病状を説明すると、奥さんは「病名以外わからず不安だったが、安心した」と話された。そして今後の生活で気をつけることなど積極的に質問し、熱心にメモをとられていた。患者さんも「妻が安心してくれてよかった」と話された。

 

医師や医療スタッフからの説明を正しく伝えること…それは医療者と患者さんのコミュニケーション促進を図り、よりよい医療の提供につながるだけでなく、疾病やけがという人生の危機的状況にいる患者さん・家族への「情緒的サポート」も伴っていると感じる。そして、それぞれが今後の生活において自分自身のこととして、自らが取り組むことへの手助けとなっている。そんな風に「医療通訳」の役割や効果が大きいこと日々実感する。

 

医療現場では、潜在的に医療通訳を必要としている患者さんが多くいらっしゃる。患者さんの潜在的なニーズを拾い上げ、医療通訳者につなぐことができるように、医療機関のスタッフも医療通訳の効果や役割を認識する必要があると思う。

 

また、「医療通訳」がどの地域でも同じように活用できる社会を目指して、NAMIの活動が展開されたら素晴らしいと思う。それぞれの立場で取り組むことで、ソーシャルインクルージョンの実現につながるひとつなのではないかと考える。

 

*ソーシャルインクルージョン:

「全ての人々を孤独や孤立、排除や摩擦から援護し、健康で文化的な生活の実現につなげよう、社会の構成員として包み支え合う」という理念

 

 

(賛助会員C.S

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私の口から・・・

ご承知のように通訳という仕事は、Aさんの発言を聞き、その内容をそのまま違う言語に変換して、あたかもAさんが発言しているがごとく1人称でBさん(たち)に伝えることです。なので、自分だったら絶対言わないようなフレーズを口にすることもありますが、俳優さんのようにAさんになりきることが仕事の一部になったりします。

 

これが医療通訳となると、時にその内容が厳しすぎて自分の口からその言葉を発することを一瞬躊躇してしまうことがあります。「あなたのお子さんは、このまま手術しなければ1ヶ月くらいで亡くなります。でも手術しても手術中に亡くなることもあります。どうされますか?」メモを取る手が震えました。出だし、声がちょっと上ずってしまいました。「医療通訳」をしていなかったら、一生他の方に「あなたのお子さんは・・亡くなる・」と自分の口から言うことはなかったはずです。できるなら私のこの口からその言葉を発したくなかったです。訳出に集中することでその通訳を終え、そこで「医療通訳」としての「覚悟」ができました。

 

続けて流産された方に「よくあることです」とおっしゃる先生。先生にとっては日常のことかもしれないけれど、この目の前にいる方にとっては「よくあること」ではないんですよ~と思いながらその通りに訳す私。案の定、患者さんから無言の哀しい空気が伝わってきました。もちろん先生は、「流産はあなたのせいじゃないよ」とおっしゃりたかったことはわかっていますが、もう一言二言欲しかったなぁと。私が付け足すわけにはいかないし。診察室を出て、つい「よくあることかもしれないけど、よくあることじゃないよね。」と訳の分からないことを口走ってしまったら、彼女、哀しそうな目がちょっとだけ穏やかになった気が。。。気のせいかも。

 

「あなたの癌はもう全身に広がっていますから。」そうかもしれないけれど、他に言い方は・・・と思いながらその通りに訳出。重苦しい空気を引きずったまま病院を後にし、ずっと引きずったまま。

 

変わった例。「私はあなたが嫌いなの!大嫌いなの!!!」なぜか夫婦喧嘩の通訳をする羽目に。その日初めて会ったよその旦那さんに

“I don’t like you! I hate you!!!” と言っている私。(ms)

 

 

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アメリカの大学病院でのシャドーイングの体験から

3年ほど前、アメリカ合衆国の大学病院で医療通訳士(Certified Medical Interpreter: CMI)のシャドーイングをさせてもらいました。ベテラン中のベテランYさんのあとを、金魚のフンのようについて回りました。CMIは出勤後、自分のスケジュールをパソコンでチェックし、それに従って広い病院内のすべての科を跨いで走り回ります。CMIが受付に患者を迎えにいくことはありません。受付や会計などの事務的手続きには、Navigatorと呼ばれる一般通訳スタッフがいます。その日Yさんには、15分刻みで医療通訳の予定が詰まっていました。

全世界共通だと思いますが、診察がスケジュール時間通りに進むことはほとんどありません。Yさんは病院中のスタッフを熟知している様子で、時間が押していることをその科の看護師や受付スタッフに伝えます。同時にYさんは次の通訳場所に連絡をいれ、先方の状況を聞き出します。看護師さんは通訳を必要としている患者さんの順番を動かすなど、状況が許す範囲内でやりくりをしてくれます。それでも、到着してみるとすでに診察が始まっていたときがありました。医師は診察室に設置されている電話通訳を利用して診察を進めていましたが、Yさんが入室すると、医師は電話通訳をやめて対面通訳に切り替えました。また、全く間に合わずに、文字通り「ブッチ」してしまった診察もありました。Yさんは事前に医療通訳コーディネーターに連絡をいれて、他のCMIを手配するように要請していましたが、あいにく他のCMIもスケジュールがいっぱいで、都合がつかなかったようです。結局、その診察がどうなったのかはわかりません。医師は電話通訳を利用したかもしれません。しなかったかもしれません。ただYさんには、それに気をもんでいる暇はありません。後にはまだまだスケジュールが詰まっています。Yさんは、「15分刻みはとても無理。でも人員も限られているし、その場でできることをやるしか仕方がない」と言います。日本でその体験談を聞いただけだったとしたら、もっとこうすればいいのに、ああすればいいのに、などと思ったかもしれません。が、現場で一緒に文字通り走り回っていると、私の頭の中で考えつくことなんて机上の空論でしかないことを、実感せざるを得ませんでした。

 

ある診察中、患者さんが服用中の薬のリストを取りだして、Yさんに手渡そうとしました。Yさんは即座に、「CMIはリストを見る必要はありません。あなたから直接先生に渡してください」と言いました。患者さんは、少し戸惑った様子を見せながら、リストを医師に手渡しました。私はYさんの斜め後ろで、一瞬「えっ!?」と思いました。私の「えっ!?」には、二つの驚きがありました。一つは、「通訳するときに薬のリストを見たいと思わないの?」という驚きです。私にとって、医療用語の中で、薬剤ほど名前にしろ効能にしろ覚えにくいものはありません。これにはYさんのCMIとしてのゆるぎない自信と誇りを感じ、私は尊敬の気持ちでいっぱいでした。もう一つの「えっ!?」は、Yさんの様子があまりにもドライで、少し冷たく感じたことへの戸惑いです。ふりかえってみると、Yさんは、決して患者さんや家族に話しかけたり、雑談をしたりしませんでした。診察室で患者さんが待っているとしても、医師より先に診察室に入って自己紹介をすることもありませんでした。すべては診察室の中だけの言葉のやり取りです。なるほど、CMIの理想形はYさんにあるのかもしれません。ただ、これを日本の医療現場でやったらどうだろうと、考えないわけにはいきませんでした。日本社会はまだアメリカほどには、老若男女にわたって個人主義が浸透していません。加えて、現在の医学教育や看護教育の中で、医学生や看護学生が、患者の文化や言語に配慮した医療ケアについて学ぶ機会はあまりありません。日本とアメリカでは、そうした状況が異なっています。Yさんのシャドーイングを通して、今の日本の医療現場で、患者さんの文化的あるいは社会的背景に思いやることができるのは、やはり医療通訳として介入する人ではないかな、と改めて強く感じました。そして医療通訳者が、臆せずに堂々とそうした役割を担えるような立場にあってほしいと感じました。少なくとも今の医学生や看護学生が、現場で中堅として活躍する10年後くらいまでは。

(R・O)

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