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アメリカの大学病院でのシャドーイングの体験から

3年ほど前、アメリカ合衆国の大学病院で医療通訳士(Certified Medical Interpreter: CMI)のシャドーイングをさせてもらいました。ベテラン中のベテランYさんのあとを、金魚のフンのようについて回りました。CMIは出勤後、自分のスケジュールをパソコンでチェックし、それに従って広い病院内のすべての科を跨いで走り回ります。CMIが受付に患者を迎えにいくことはありません。受付や会計などの事務的手続きには、Navigatorと呼ばれる一般通訳スタッフがいます。その日Yさんには、15分刻みで医療通訳の予定が詰まっていました。

全世界共通だと思いますが、診察がスケジュール時間通りに進むことはほとんどありません。Yさんは病院中のスタッフを熟知している様子で、時間が押していることをその科の看護師や受付スタッフに伝えます。同時にYさんは次の通訳場所に連絡をいれ、先方の状況を聞き出します。看護師さんは通訳を必要としている患者さんの順番を動かすなど、状況が許す範囲内でやりくりをしてくれます。それでも、到着してみるとすでに診察が始まっていたときがありました。医師は診察室に設置されている電話通訳を利用して診察を進めていましたが、Yさんが入室すると、医師は電話通訳をやめて対面通訳に切り替えました。また、全く間に合わずに、文字通り「ブッチ」してしまった診察もありました。Yさんは事前に医療通訳コーディネーターに連絡をいれて、他のCMIを手配するように要請していましたが、あいにく他のCMIもスケジュールがいっぱいで、都合がつかなかったようです。結局、その診察がどうなったのかはわかりません。医師は電話通訳を利用したかもしれません。しなかったかもしれません。ただYさんには、それに気をもんでいる暇はありません。後にはまだまだスケジュールが詰まっています。Yさんは、「15分刻みはとても無理。でも人員も限られているし、その場でできることをやるしか仕方がない」と言います。日本でその体験談を聞いただけだったとしたら、もっとこうすればいいのに、ああすればいいのに、などと思ったかもしれません。が、現場で一緒に文字通り走り回っていると、私の頭の中で考えつくことなんて机上の空論でしかないことを、実感せざるを得ませんでした。

 

ある診察中、患者さんが服用中の薬のリストを取りだして、Yさんに手渡そうとしました。Yさんは即座に、「CMIはリストを見る必要はありません。あなたから直接先生に渡してください」と言いました。患者さんは、少し戸惑った様子を見せながら、リストを医師に手渡しました。私はYさんの斜め後ろで、一瞬「えっ!?」と思いました。私の「えっ!?」には、二つの驚きがありました。一つは、「通訳するときに薬のリストを見たいと思わないの?」という驚きです。私にとって、医療用語の中で、薬剤ほど名前にしろ効能にしろ覚えにくいものはありません。これにはYさんのCMIとしてのゆるぎない自信と誇りを感じ、私は尊敬の気持ちでいっぱいでした。もう一つの「えっ!?」は、Yさんの様子があまりにもドライで、少し冷たく感じたことへの戸惑いです。ふりかえってみると、Yさんは、決して患者さんや家族に話しかけたり、雑談をしたりしませんでした。診察室で患者さんが待っているとしても、医師より先に診察室に入って自己紹介をすることもありませんでした。すべては診察室の中だけの言葉のやり取りです。なるほど、CMIの理想形はYさんにあるのかもしれません。ただ、これを日本の医療現場でやったらどうだろうと、考えないわけにはいきませんでした。日本社会はまだアメリカほどには、老若男女にわたって個人主義が浸透していません。加えて、現在の医学教育や看護教育の中で、医学生や看護学生が、患者の文化や言語に配慮した医療ケアについて学ぶ機会はあまりありません。日本とアメリカでは、そうした状況が異なっています。Yさんのシャドーイングを通して、今の日本の医療現場で、患者さんの文化的あるいは社会的背景に思いやることができるのは、やはり医療通訳として介入する人ではないかな、と改めて強く感じました。そして医療通訳者が、臆せずに堂々とそうした役割を担えるような立場にあってほしいと感じました。少なくとも今の医学生や看護学生が、現場で中堅として活躍する10年後くらいまでは。

(R・O)