通訳者の介入行為

最近、手話通訳における医療通訳の研修の講師を行う機会が多くなった。手話通訳は、資格制度もあり、通訳報酬も高額ではないが、国の制度の一つとして支給がされる(場面や回数に制限がある場合もある)。しかし、音声言語通訳と共通する課題も抱えている。

それは、手話通訳士という資格制度があるといっても、通訳システムを支えているのは、手話サークルで手話を学んだボランティアが多いということ。そのような人たちが、各福祉事務所や支援センターに登録している手話通訳者たちのレベルはバラバラで、医療などの専門用語を適切に訳すのが難しい場合もある。また、対人援助通訳の大きな問題として、専門家とクライエントとの力の差がある(情報量や裁量権など)ことから、通訳者が正確に通訳する以外に、専門家とクライエントの両者が理解できるように介入をしなければならない場面があるということである。介入行為は、通訳倫理から逸脱してしまうものであるが、ただ忠実に訳しただけでは理解ができないクライエントに対して、適切な介入を行うことは、クライエントが主体的に自らの問題解決にむけて、コミュニケーションに関わることができるよい機会になる。この部分の通訳者の行為は、ベテランの通訳者のカンや経験値で行われており、外からはわかりにくい。しかし、この部分にこそ、医療を含める対人援助通訳の専門性があると考えるのだが、なかなかその専門性の意義が認知されにくいのである。

 手話通訳においても、この介入行為はどのように行えばいいか、悩んでいる部分が多い。通訳倫理に反せず、専門家とクライエントの主体的なコミュニケーションを尊重しつつ、しかし、力の差のある両者がお互いの意見を理解しあえるように、通訳者が介入をおこなっていく。一見すると通訳という行為から矛盾するような行為であるが、この部分をベテラン通訳者は上手におこなっているからこそ、専門家とクライエントがお互いを理解して、信頼関係を築くことができているのだと考えている。

 手話通訳の研修において、そのようなベテランの通訳者たちの営みをたくさん聞く。適切な介入がおこなえる通訳者が評価されるように、通訳者の介入行為についての議論が深まればと考える。 N.I